松山地方裁判所 昭和30年(ワ)55号 判決 1956年3月22日
原告 武田藤雄 外三名
被告 宮崎留一 外一名
主文
被告等は各自原告武田藤雄に対し金拾五萬円、同武田茂光に対し金弐拾萬円、及び夫々これに対する昭和三十年二月十一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし原告等のその余の請求はいづれもこれを棄却する。
訴訟費用のうち原告武田藤雄と被告等との間に生じた部分は三分し、その二を同原告、その余を被告等の負担とし、原告武田茂光と被告等との間に生じた部分は三分し、その二を同原告その余を被告等の負担とし、原告武田アヤ子、同武田榮子と被告等との間に生じた部分は同原告等の負担とする。
この判決は原告武田藤雄、同武田茂光勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。
事 実<省略>
理由
原告茂光が昭和二十九年九月十七日午後四時三十分頃愛媛県喜多郡内子町大字川中の伊予鉄バス福岡停留場附近の国道上で被告宮崎が運転する貨物自動車のため左下腿複雑骨折挫滅創の傷害を受けたため、その左下腿部を切断するに至つたことは当事者間に争がない。
まず本件事故が被告宮崎の過失によつて生じたかどうかについて判断する。
被告宮崎は伊予鉄バスとの離合に際し警音器を吹鳴しなかつたことは当事者間に争がなく、右事実と成立に争がない甲第五乃至第十二号証、同第十三号証の一、二及び証人五百武勝己の証言、原告武田藤雄本人尋問の結果、被告宮崎留一本人尋問の結果の一部及び検証の結果を綜合すると、被告宮崎は、前記福岡停留場(幅員約五米二位の狭い道路)附近の手前約三十米に差掛つた際、同停留場に伊予鉄バスが停車したのを現認し、手前約十米の箇所で警音器を鳴し、自己の運転する貨物自動車(愛媛一ノ二三〇三号)の速力を約二十粁に落し、そのままギアをトツプに入れたまま通過しようとしたため、同貨物自動車の先端が同バスの後端を過ぎかけた時、同バスの降車客で保育園帰りの原告茂光(昭和二十五年二月十日生)がバスの背後から道路を横断するため不意に出てきたので直ちに急停車の処置をとつたが及ばず同貨物自動車の右側前車輪辺りで右茂光と衝突し前記傷害を負わせるに至つたことを認定することができる、右認定に反する被告宮崎本人尋問の一部は容易に信用し難く他にこれを覆すに足る証拠はない。およそ停車中のバスに対向してその左側を通過する自動車の運転者は同バスの後方から降客が道路を横断するため突然貨物自動車の直前に飛び出してくることは屡々あることであるからこの点に注意を払い本件のような巾の狭い五十分の一の登り勾配の道路においては変速ギヤーをローに入れるなどして、超低速度を保つて両車が離合し終るまで適度に警笛を吹鳴し続けるなどして警戒音を発しながらバスと擦れ違うべく、その直前を横断しようとする者がある場合はいつでも間髪をいれずに停車できるような態勢を整えて進行すべきであつてその事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告宮崎は前記のような当時の附近の状況においてその注意義務を怠り事故は発生しないと軽信して通過した過失のため本件事故が惹起したものと判断される。
次に被告岡部は右宮崎の使用人ではない旨争うので判断すると、被告岡部武雄本人尋問の結果及び乙第二号証によると同被告の主張に副う部分があるが、しかし成立に争がない甲第十三号証の一、二及び証人五百武勝已の証言被告宮崎留一本人尋問の一部によれば、被告岡部は製材業を営むものであり、本件事故当時も依然被告宮崎は従来通り被告岡部に使用され同人の監督の下に木材の運搬業務に従事していたことを認定できる、右認定に反する被告岡部武雄本人尋問の結果及び被告宮崎本人尋問の一部は信用し難く乙第三号証もその妨げとならず他にこれを左右するに足る証拠はない。而して被告岡部は被告宮崎の選任及び木材運搬業務の執行について相当な監督上の注意を払つた事実については乙第二号証及び被告岡部武雄本人尋問の結果によつても未だこれを認めることはできないから、被告岡部のこの点の抗弁は採用しない。従て被告岡部は被告宮崎の本件事故に関する過失について使用者としての責任を免れない。
よつて本件事故によつて生じた損害額について判断する。
(一) 別紙計算書(三)の(1)掲記の品目及び金額合計金壱万六拾参円は被告等が自白するところであり、次に原告武田アヤ子(第一回)本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二成立に争がない甲第十六第十七号証第十八号証の一、二第十九号証の一、二第二十号証の一、二第二十一号証の一、二第二十二号証の一、二第二十三号証の一、二第二十四号証の一、二第二十五号証の一、二第二十六号証の一、二第二十八号証の一、二及び原告武田アヤ子(第一乃至第三回)本人尋問の結果を合せ考えると、原告藤雄は茂光の本件事故による負傷のため親権者として、原告茂光を事故当日より同年十二月三十一日まで、喜多郡内子町小川病院及び松山市野本病院に入院治療させ、その治療費入院費その他これに関連する費用として同計算書(三)の(2)ないし(8)の各費用を支出したこと、(5)の物品代金は現存価額を二割と見て、これを差引いていることを認めることができる、
しかしながら原告武田藤雄が支出した右支出費用のうち、原告茂光の前記受傷の程度、及び原告武田藤雄本人尋問の結果により認められる如く同原告本人は製材業者で資産弐千萬円以上を有し、居住部落での上流の社会的地位にある事実を認め得られる事実、その他社会的儀礼としての経験則等を勘案すれば(三)の(2)の治療費及び入院費は金拾萬壱千弐百弐拾円(3)の給食費のうち被告等の自認と一致する金六千七百六拾五円(4)の雇人給料及び歳暮のうち被告等の自認と一致する原告藤雄の請求金額の半額壱萬壱千七百六拾円、(5)の物品代金参千七百弐拾六円(6)のタオル代金四百円(7)の電話料及び立川、松山間のバス代金参千四百五拾円(8)の(イ)のタクシー代ハガキとその印刷料医師の歳暮湯タンポ代金合計金四千五百拾円以上合計拾四萬千八百九拾四円は前記傷害により支出した必要費と認め得べきもその余は何れも負傷と相当因果関係のない支出費用と認めるのを相当とする、
(二) 次に義足代につき按ずるに、成立に争がない甲第三号証の一部及び証人北岡宇一の証言並びに原告武田アヤ子(第二回)本人尋問の結果では茂光(事故当時四歳七ヶ月)は成長期たる満二十五歳までは毎年一個づゝの義足が必要であつて、中学に行く迄の八年間は不腿軽便用義足として一年に金九千五百円、中学入学後――後記の如く満二十年まで七年間――は下腿常用普通義足として一年に金壱萬参千六百円が必要であることを認定できこれに反する甲第三号証の一部及び証人御堂仙太郎の証言は採用しない。しかし右義足代は原告茂光が請求するのでなく、親権者たる原告藤雄が請求するのであるから、同人が茂光を扶養する義務のある満二十年までを以て一応の限界時と解するを相当とするので、それまでの間十五個合計金拾七萬壱千弐百円を必要とするところ、一時に請求するのでホフマン式計算により年五分の中間利息を控除して金九萬七千八百弐拾八円(以下端数を切捨てる)の限度でこれを認容し、その余の部分は失当である。
(三) 慰藉料請求について原告藤雄、同アヤ子は茂光の父母として、原告栄子は妹として夫々前記茂光が身体傷害を受けたことによる慰藉料の請求をするところ、民法第七百十一条は近親者が生命侵害のあつた場合の慰藉料についてだけ規定するだけであるから爾余の判断をまたず同人等の慰藉料請求は夫々棄却を免れない。
次に原告茂光の慰藉料請求について按ずるに、成立に争がない甲第一、第二号証、原告武田アヤ子(第一回)及び原告武田藤雄の各本人尋問の結果によると、茂光は本件事故により前記左下腿複雑挫滅創のほか、右大腿挫創の傷害を受け、現在は右下肢の機能障害はないが、左下腿部は略三分の一の箇所で切断し、右負傷により受けた精神的、肉体的な苦痛は多大なものがあり、又傷痕による不具者として将来の精神的苦痛も甚大であるところ、甲第十三号証の一により認められる被告宮崎は自動車運転者として特に資産もない事実、及び前認定の如く被告岡部は本件貨物自動車一台を所有し製材業を営んでいる事実、その他本件諸般の事情を斟酌し相当額の慰藉料を支払うべきである。
ところで被告等は本件事故につき被害者たる原告茂光に重大な過失があつた旨抗争するので按ずるに、前認定の如く本件事故につき自動車運転者たる被告留一に過失のあつたことは勿論であるが、被害者たる原告茂光が、自動車の運行に注意することなく、漫然降車バスの背後より道路を横断せんとしたことが、相寄り相俟つて本件事故の発生を見たものであるが、同原告は当時僅か四歳七ヶ月の幼児であつたから、かかる場合同人に対し、かかる狭隘な道路を停車バスの背後より横断せんとする場合には、側面から何時自動車等が交錯運行するかも知れないので、その危険を避くるため、横断の前方、左右に注意すべき程度の責任能力はなかつたものと認められるので、被告等のこの点の抗弁は理由がない、
次に被告等は仮に右理由がないとしても、原告藤雄同アヤ子は親権者として原告茂光の監督上重大な過失があつた旨抗争するので按ずるに成立に争がない甲第十一号証及び原告武田藤雄本人尋問の結果原告武田アヤ子(第一回)本人尋問の結果の一部を綜合すれば原告茂光は昭和二十九年四月より中山町保育所に入所し、毎日バスで通つていたものであるが、同部落の河内ケイ子の子供も同保育所に通つていたので、両親等は毎日交互に子供等を、バス停留所まで連行して乗車させ、帰途はバス到着時刻に停留所まで迎えに行つて連行してきていたものであるが、同年夏休み以後は原告茂光等もバスの乗降に慣れたため、原告アヤ子等はその送迎をしたり、しなかつたりしていたものであるが、本件事故発生当時は右茂光を停留所まで出迎えなかつた事実を認定することができる。これに反する原告武田アヤ子(第一回)本人尋問の一部は容易に信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば原告藤雄同アヤ子は親権者として原告茂光の如き幼児をバスで保育所に通勤させるに当つては、バスの停留所えの送迎その他に万全の注意を払つて幼児を危害から事前に防止すべき監督上の注意義務があるに拘らず、これに違背し、本件事故当日は原告茂光を迎えに出ないで漫然放置していたため、かかる事故の発生を見るに至つたものであつて、右は原告藤雄、同アヤ子の過失であり、しかも右過失は本件事故発生につき相当重大な過失であつたというべきである。よつて本件損害賠償額の算定については右過失を斟酌し、原告藤雄の蒙つた損害は前記財産的損害として合計金弐拾参萬九千七百弐拾弐円のうち金拾五万円を、原告茂光の蒙つた慰藉料額は金弐拾萬円を相当と認める。
よつて被告等は各自前記金員及び夫々これに対する本訴状送達の翌日であること記録に徴し明かな昭和三十年二月十一日より各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。従て原告等の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の各請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条第九十三条、第八十九条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 伊東甲子一 月山桂 清水嘉明)